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「花」の頃ではなかったのですが、
むしろそれ故に洗練された細部の意匠がはっきりと見えることもあります・・・・。
夜来の雨は洛北では比叡からの雪だったのです。
「あと半時ばかり早ければ、お庭もすっかり雪景色でした。」
春の雪は書院の屋根にうっすらと名残りを留めています。
朝の書院の床は、売店で借りた厚手の靴下を重ねても凍てつくようです。
最澄により道場として叡山に創建された曼殊院は、
1656年に現存する庭園建築が、良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)によって造営されました。
良尚親王は、桂離宮を創建した八条宮智仁親王の次男です。
故に曼殊院のデザインは桂離宮との共通性が多くみられ「小さな桂離宮」とも呼ばれています。
大書院前には、小堀遠州好みの枯山水庭園がダイナミックに広がり、
水の流れをあらわした砂の中に「鶴の島」「亀の島」を配しています。
鶴を表現した樹齢400年の五葉松。また築山の一角には特徴的なキリシタン灯篭が置かれています。
小書院は、静かに水面をさかのぼる屋形舟を表現しているのだそうです。
「富士の間」「黄昏の間」「上段の間」と奥行きの長さが二間・一間半・一間と減少する部屋の間取は、
巧みに遠近感を強調しています。
公家風で趣味豊かな良尚親王の趣向は、縁側の手すり。書院棚の黄金分割。
わずかに傾斜した梟の手水鉢。「八窓軒」と呼ばれる茶室等の意匠に生かされています。
父の智仁親王はキリスト教宣教師とのかかわりが深く、桂離宮やここ曼殊院のデザインの細部には、
当時ヨーロッパで流行していた、遠近感を強調する手法が、色濃く反映されているのです。
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曼殊院は紅葉の名勝としても有名ですが、庭園には四季折々、さまざまな花が咲き誇るそうです。
しかし、「花」の頃ではなかったのですが、
むしろそれ故に、洗練された細部の意匠がはっきりと見えることもあるのです。
古都の美しさを愛でる時、私たちは極めて日本的な「美」を、漠然と思い浮かべます。
しかし一方で、その源泉にある先取の気風に満ちたパイオニア精神を忘れがちです。
「わび」「さび」の典型といわれる「枯山水」の庭園も、じつは西欧の遠近法を取り入れたものと言われています。
古来日本人は、このようにインポート文化を上手にこなして、手の内に入れてきたのです。
曼殊院門跡の「美しさ」の背景にあるものは、こうした計算され尽くした「寸法」のバランスなのです。

★参考文献 宮元健次著「京都名庭を歩く」光文社新書★
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