| イタリアへの旅の誘い 《ピアチェンツァの旅の途中で》 Piacenza |
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| 《ピアチェンツァの旅の途中で》 Piacenza 市民の資金で築かれたこの劇場には、 ピアチェンツァの人々の200年間の「夢」と「思い」が込められています。 |
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●アントネッロ・ダ・メッシーナの傑作 「Ecce Homo=この人を見よ」(1473)を鑑賞するために、エミリア街道の伝統ある神学校を訪ねました。 アントネッロの同名の作品は、ニューヨークのメトロポリタンとパリのルーヴル、 そして個人蔵と世界に4点存在するそうです。 イタリア絵画に大きな足跡を残したアントネッロの作品は「ピアチェンツァが一番」と町の人が自慢します。 他の作品は知りませんが70年代に修復され甦った傑作を前に、ただ茫然と立ち尽くすばかりでした。 ![]() (Arte e storia nel Cllegio Alberoni di Piacenza) ポー川のほとり、モードの世界ではアルマーニの出身地でもある、人口10万程のピアチェンツァ。 週末の中心街は、羨ましいほど、行き交う人で賑っています。 大型店も車の乗り入れもない街路は、《人》と《建物》がおだやかに調和しています。 こういう人にやさしい地方都市の光景は、日本では消えつつあります。 ●テアトロ・ムニチパーレ(オペラハウス) 繁華街をひとつ隔てた一角には、清楚なオペラハウスがあります。 玄関ロビーにはヴェルディの彫像。 「ヴェルディの出身はパルマだと思っていました。」 「故郷ブセットはピアチェンツァとパルマのちょうど中間なのです。」 この劇場ではヴェルディやトスカニーニが活躍し、 戦後はイタリアオペラを担った、フラヴィアーノ・ラボーやジャンニ・ポッジという偉大なテノールも生みました。 200年前に市民が資金を持ち寄って築いた劇場には、ピアチェンツァの人々の「夢」と「思い」、 そして地域の「誇り」がこめられているのです。 「日本の人たちに、もっとピアチェンツァを知って頂くために、 オペラやオーケストラの公演を考えているのですが、どうでしょうか。」 食卓を囲みながら、市長や商工会の方に聞かれました。 多くの日本人がイタリアの音楽や絵画に憧れます。 しかしながら日本での、例えばクラッシック音楽の受容を見ても、 文化のたんなる「消費」に変質してしまう事も多いのです。 それは生活文化、もっと言えば「人間」に対する根本的な価値観の隔たりによるものかもしれません。 そんなことを思いながら「町おこし」「メセナ」「スローフード」といった、 最近よく聞く言葉がアタマをよぎりました。 ![]() 「日本は官主導・大量消費の、使い捨て風土なのです。 《質》を求めて専門店に足を運んでくれる方は少数派です。 《ひと》も《町》も《文化》も使い捨てて、新奇なものに飛びつく。 それが内需拡大・地域振興とメディアも煽るものですから、人は事実よりも、情報に群がる。 当然の結果として「町」も空洞化しちゃうのです・・・。 酔って、そんなことを言おうとしたのですけど、 一方で意味が伝わらない方が良いとも思って、 「日本とイタリアでは、歴史も文化も違いますから、オペラも好いのですが、 やはり《食》の魅力のほうが、わかりやすいのではないでしょうか。」 などと、通訳の方に目配せをしたのだった。 ●アンティカ オステリア デル テアトロ ![]() 数年前に大阪の財界人の集まりに招かれて、「ピアチェンツァ」についてスピーチをした時、 「ミラノのペックは日本でも有名ですが、ピアチェンツァのレストランのエノテカも、また凄いのです・・・」 と言ったら、来日して会場の厨房で腕を振るっていた、シェフのフィリッポさんが飛び出てきて、 「あなたはトモダチダ」と喜んでくれた。 たまたまペックを知っていただけなのですが、 この夏ミラノの書店で、「ガンベロロッソ」を購入したら、フィリッポさんのリストランテが、 イタリアはもとより、全ヨーロッパのレストランで、常に上位の評価を受けている店である事を知りました。 フランスで習得した技を、故郷の「食材」を使って開花させたフリッポさんの料理は、人々に幸せを実感させてくれます。 ![]() |
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