10年遅れの中高年映画オタク「ハッピーエンド」を探して

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●ジョン・フォード監督「真珠湾攻撃」DECEMBER 7TH〈完全復元長編版〉を観る。

「DECEMBER 7TH」
は米陸海軍がプロパガンダとして20世紀フォックスに委託したドラマ仕立のドキュメント。
撮影班は1941年12月7日真珠湾攻撃の6日後に現地入りした。
「怒りの葡萄」でコンビを組んだカメラマン、グレッグ・トーランドとの共同監督作品。

「前半のドラマ部分は戦争準備の不足と、敵国人になる在ハワイ日系市民の貢献を詳しく描き、
日本に対する罵りのないことが軍部の怒りを買い、後半の34分の戦闘場面だけが公開された。
長編の全容は1995年12月26日に東京の三百人劇場で世界初公開された。」
【解説:日野康一氏(IVC発売DVD)より。】

「・・・あれはグレッグ・トーランドが監督した。私は手伝っただけさ。
現地には行ったが、全部グレックにまかせきりだった。=ジョン・フォードは語る」
【リンゼイ・アンダースン「ジョン・フォードを読む」高橋千尋訳235頁(フィルムアート社刊)より。】

フォードの語る「あれ」とは一部だけ公開された戦闘シーンを云うのであろう。
しかし、 パックスアメリカーナの閉塞情況が着実に世界を蔽う現在、
時空を越えて、問い掛けて来る長編版の「作品」の力は、今日では稀な、新鮮な感動を与える。

 その問い掛けとは、
プロパガンダとして、ドラマ部分が軍部にカットされ没収された事でも
短編として「アカデミー賞」を受賞した事でもなく。
日本人の描写がヘンだとか、
何処の部分が実写で、何処の部分が作り物かとか云った裏話でもない。

健忘症のわれわれが、このフィルムをとおして出会う感動は、
戦争の渦中にあっても、
「ひと」は自らの判断に委ねる領域を持ちえるという、ごくアタリマエの感動だ。
カットされ、没収される事になろうとも、自らの思うところを表現しようとする理性の力である。

「真珠湾奇襲攻撃」に始まる太平洋戦争は、当然情報戦争でもある。
ハワイ在住の15万同朋は不安の中で、多くの諜報活動を展開した事と想像する。

「奇襲」とは何か・・・。
ひとつの意思決定の正当化のために、以後日本列島島民は泥沼の犠牲を受け入れる。
さらにその犠牲の神格化によって、沈黙する。
「奇襲」のあと、軍部は情報を遮断して
自国島民を情報操作することが精一杯であった。
こうした島国ゆえの「掟」は、
今日の日本人社会でも、さして変わる事無く、メディアをとおして機能している。

人種差別で培われたアメリカの繁栄。
銃(武力)に支えられたアメリカの自由と民主主義。
封印された60年の時の狭間で戦勝国アメリカの混迷さえも浮かび上がるフイルムだ。
(2003年9月)

「雷蔵」映画を観て改めて失われたものの多さに気付く。
60年代の日本映画は「世界遺産」だ。


雷蔵ファンの方から市川雷蔵のビデオ100本をお借りした。
貸す方も貸す方だが、借りる方も借りる方である。
何が言いたいのか。ファンの心理はかように度を越している。

雷蔵さんはその短い映画人生の間に155本の作品に出演している。
15年間ほぼ毎月一本の新作を世に送り出した。
今月は「眠狂四郎」役。次月は「忍びの者」。次は「陸軍中野学校」。今度は「若親分」。
又次は「狂四郎」と、シリーズ物をこなす合間に、
多くの文芸作品にも取組み、休む暇はない。
まったく「相手変れど人変らず」で、これでは身が持たない・・・という感じで病に倒れた。

・・・女(藤村志保)に抹茶を進められていた狂四郎の表情が突然強張る。
「足でも痺れたか」と思う瞬間、アップになった茶碗に刀が突き刺さる。
「おぬし・・・」《眠狂四郎勝負》

のどかな田圃道のロングショットを狂四郎が遠く歩いて来る。
手前から現われる女(中村玉緒)がすれ違いざまにばさりと倒れこむ。
《眠狂四郎炎情剣》そして《眠狂四郎無頼剣》。又は《剣》のシリーズ。

三隅研次監督・市川雷蔵主演の映画は、
失われた「美」の狭間にあって、鮮烈な驚きに満ちている。
言わずに語る「セリフ」と「情景」との束の間の「調和」と「破綻」。
何事も起こりえないと思える光景の中で、出来事は不意打ちに似て起こるのであった。

当時日本映画は、毎週のように封切りのプログラムピクチャーだ。
それ故か、雷蔵作品はほとんど「賞」とか「ベスト10」とかには無縁であった。
振り返って同時代に持て囃された作品が、
いかに社会の問題意識に苛まれていて色褪せているかが判る。
その背景には「眠狂四郎」などの『時代物』や『伝統芸術』は
《趣味道楽の世界》へ遠ざけた、この国の偏頗な近代化があった。
そうして、いま改めて思うのである。
「なんという贅沢」「なんという絢爛豪華」「なんという美しい風景の陰影」。
永い歳月をかけて培ってきたこの国の文化の造形が、
惜しげもなくフレームに刻印されたこれらの作品は、
日本文化の最後の輝きにも似て、今日一層の光彩を放つ。

役者とそれを支える職人スタッフ。そしてカメラマン。
「大映」撮影所の見事な美意識を、一瞬のうちに切り取った三隅研次監督の作品は、
まさにチームワークの極みである。

60年代前半、日本映画は全盛期を迎え活性化していた。
しかし過度の活性化は退廃への道でもある。
雷蔵のあっけない生涯も、後を追うように行き詰まった「大映映画」も、
今にして思えばその幕切れは、寧ろ退廃を逃れるような見事さでさえある。

(2003年11月)




たまたま出遭ったアントネッロ・ダ・メッシーナ(1422〜1474)の絵画について調べていると、
アントネッロは15世紀初頭、オランダのヤン・ファン・アイクの影響を受け、
イタリア絵画に初めて「油彩」の技法を伝えたとあった。
時代はルネッサンスを迎え、やがてイタリア絵画は「ヴェネチア派」の黄金時代を迎える。

《オランダ》と《ヴェネチア》に共通する「環境」。
それは土地のない干拓地だ。
15世紀から17世紀にかけて、二つの国はヨオロッパの文化を先導する。
例えばヴィヴァルディのバロック音楽は、
波間に反射する「光」の光景を垣間見た時、瞬時に納得される。
・・・そんな思いに駆られているときに、オランダの「光」に関するDVDが相次いで発売された。

ドキュメンタリー映画『オランダの光』
視線と光が「美」へ昇華するフェルメールの世界『真珠の耳飾りの少女』


長編ドキュメンタリー映画「オランダの光 Dutch Light」(監督ピーター=リム・デ・クローン)。

フェルメールやレンブラントなどの17世紀オランダ絵画の巨匠が遺した傑作の源泉には、
独特の陰影をもつ「光」があると言われてきた。
しかし現代美術家ヨーゼフ・ボイスは、20世紀前半の開拓が地形に変化を及ぼし、
「オランダの光」は失われてしまったと指摘する。
果たして「オランダの光」は、本当に失われてしまったのだろうか?
そして「オランダの光」とは、本当に実在するのだろうか?
・・・かくて「光」を追い求めて、想像を超えるオデッセイが始まった─-。
「光」を巡る映像に導かれて、我々は「見る」という行為の原点に立ち帰る。
あふれる情報の海に取り巻かれた今日の日常は、
一方で「見る事」の本質からいかに遠ざかっている事だろうか。
これは「光」を巡って「見る事」の根源へ立ち返らせてくれる傑作ドキュメントである。
「オランダの光はいつも同じで、いつも違う・・・。」


「真珠の耳飾りの少女」
(監督ピーター・ウエーバー)は、

全篇フェルメール絵画の光と影の世界を再現した静謐な映像に圧倒される。
オランダの天才画家フェルメールの家に使用人としてやってきた少女グリート
(主演スカーレット・ヨハンソン。昨年はソフィア・コッポラの「ロストイントランスレーション」で話題。)
の繊細な色彩感覚は、画家に新たな想像の活力を与える。
フェルメールの生きた17世紀のオランダの町デルフト。
町の様子や人々の暮らしが見事に再現されている。
そしてなによりも、主演のヨハンソンの「唇」の瑞々しさに圧倒される。
中年世代なら、ポランスキーの作品「テス」の、ナスターシャ・キンスキーを思い浮かべるはずだ。
(2005年8月)

暮しの片隅に置き忘れた、大切なことを、気付かせてくれる。
小泉尭史監督作品「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」


山本周五郎の短編を脚本化した黒澤明の遺稿「雨あがる」

こころを病んだ医師が夫の故郷の、ゆったりとした時の流れの中で、
村人と暮しながら、癒されてゆく「阿弥陀堂だより」

交通事故の後遺症により、記憶が80分しかもたない天才数学者と、
若い家政婦の交流を描いた「博士の愛した数式」

小泉尭史監督の作品は、美しい日本の四季の中で、懸命に暮す市井の人々が描かれている。

・・・私たちの日常を取巻く風土は、こんなに美しかったのか。
人々の心はこんなに優しさに満ちていたのか。

利便性や効率を追い求めて、顔の見えないコトバが泡沫のように氾濫する、
情報依存の酩酊状態の中で、
ひとはこころの居場所を失念してしまったのだろうか。

暮しの中で周知の事が、「知っているつもり」でいたことが、
実は何も分ってはいなかったのではないか。
そんな思いに、ふと襲われる。

そして、そう思う束の間。
見馴れた山や川、森や畑。暮しを取巻く周囲の人々。
身の回りのありふれた光景が、人も風景も、美しく輝き出すのであった。
(2006年8月)

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